バレエの先生が教えられること

昨日ご紹介した「焼け跡の”白鳥の湖”」 の記事に
沢山のアクセスを頂きました。ありがとうございますm(__)m
ご紹介してから実際に購入された方や、持っていそうな先輩に問い合わせる!と言う声もありました。

読み終えてから、兼ねてからずっと目の前に有ったものが取り除かれたような気持ちになっていて
それは今一つ「理解しきれていない」ものが解き明かされて
何だか雨上がりの空の下に居るような。

SAMSUNG

”習う”ことは、どんなことでも「師の下に付く」ことだと思います。
下に付く意思と行動があるから、その人を育てたいなと思うものだと思いますし
そして昔の先生方は、ある意味人情に溢れる方がとても多いです。
稽古中は本当に恐くて厳しいけど、ふとした拍子に見せる気遣いが心に残って
「あ、この先生なら安心できる」と言う気持ちになれた。
言ってしまえばそれを感じ取れるのも、踊りをやってる故の”感性”な気がする。

最近は余り細かく言わない先生も増えてきているためか
オープンクラスの更衣室等では、大人バレエの方達が
先生に関する話をおおっぴらにしていたりする光景によく出会いますが
そんな光景はかつては考えられなかった。
消費の目線で好き勝手に先生を選んでると、そういう感覚になるのかな・・・
それとも時代なのか。。

またその人が元々持つ感覚の部分から「お互いがそぐわない面」がぶつかることも有り
それはウチのスタジオでも起こるため、その対応に苦慮しますが
つまるところ、消費感覚でしかバレエを見ていないのだろうなと。

昨日の本に、島田先生の奥様の、服部千恵子先生の言葉が書かれているのですが
「本当にご自分に強くなってもらいたい。拳骨で相手を殴って「痛がれよ」と言う強さじゃないの。
強くなると言う事は自分に強くなって、どんなに苦しいことが有っても悲しいことが有っても
「これを成そう」と思った事は必ず成し遂げてから「あー、良かった、とうとう私はこれを完成した」という
喜びを持ってもらいたいの」(焼け跡の白鳥の湖 より)

バレエの先生が教えることは、バレエを上手に踊ることを教えるのではなく
人を育てるために、深い部分から関わってゆくこと。
私の世代は古い先生方に師事した、ある意味ギリギリの世代なので
新しい考えも両方取り入れられる、ちょうど狭間に居ます。
今この体がちゃんと動ける時に成せることを頑張って行こうと、そして行動していきます。

今日はこれから3クラス指導。
指導が終わったら奥田慎也先生が出演される舞台を、スタジオ生達と応援しに行きます。
そして明日は舞台・・!!
あぁ、幸せな一日です。
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